2012年2月18日土曜日

「無駄のある家」 白州正子氏の一文にふれて

「無駄のある家」白州正子氏の一文を紹介

・・・ざらにあった極くふつうの農家である。手放すぐらいだからひどく荒れており、それから30年かけて、少しずつ直し、今でもまだ直し続けている。
 もともと住居は、そういうものなので、これでいい、と満足することはない。綿密な計画を立てて、設計してみた所で、住んでみれば何かと不自由なことが出て来る。さりとてあまり便利に、ぬけ目なく作りすぎても、人間が建築に左右されることになり、・・・

中古の農家を買って、30年住み続け、ライフサイクル、住み手の変化に対応させ、住み続ける心意気がにじみ出ている。住処を愛する心意気も感じる。今必要とする呼応する空間の実現のため無駄も時として重要であると。今の時点での無駄が将来の住処を支えているかのように。

町田市鶴川の「武相荘」に行った時(2月4日)に出会った一文です。

収録図書「縁あって」白州正子著


30年住み続ける家は、老夫婦が1階のみで完結して生活できる間取りが最低限度必要と改めて思う。一般的な建て売り住宅4LDKの間取り。1階にLDKと和室、2階に洋間3室。これが一番多いプラン構成だ。構成としては、理にかなっている。そこでその1階のLDK、寝室一ッ、水回りが老夫婦になったときに、使いやすい、住みやすい家であり続けられるかのキーポイントになる。広さも重要である。バリアフリーのことも気になる。

リフォームの案件で1階DK+和室8帖、2階2室のリフォームの話があった。
居間として活用している1階和室を寝室に、DKの場所に坪庭付き水回りを、回廊を介してLDKを増築する案に落ち着いた。シンボルツリーを眺めながらの生活が始まっている。
最低限必要な居住スペースをゆったり作り、要所要所に収納を配置した計画であった。